上が青、下が黄色。ウクライナの国旗は、世界でも特にシンプルなデザインの旗です。青い空と、その下に広がる小麦畑を表している、と説明されることがよくあります。
しかしこの旗は、長いあいだ掲げること自体が禁じられ、持っているだけで罪に問われるおそれがありました。青と黄色がどこから来て、どのように国旗として戻ってきたのかを見ていきましょう。
ウクライナってどんな国?国旗の基本データ
| 正式名称 | ウクライナ |
| 人口 | 約4,000万人 |
| 首都 | キーウ |
| 正式採用 | 1992年1月28日 |
| 縦横比 | 2:3 |
| 国旗の日 | 8月23日 |
青と黄色は、キリスト教以前から使われてきた色
青と黄色の組み合わせは、ウクライナの地でとても古くから使われてきました。キリスト教が広まる前の時代、伝統的な儀式ではこの2色がよく用いられ、火と水を表していたといわれます。
現在よく知られている「空と小麦畑」という説明は、実はのちに広まった親しみやすい解釈。法律で定められた意味ではないんです。
西部の街リヴィウの紋章とのつながり
旗の色としての青と黄色は、ウクライナ西部のガリツィア地方の紋章に由来すると考えられています。この地方では、青と黄色(金色)の紋章が広く使われていました。
西部の中心都市リヴィウの紋章は、今も「青地に金色の獅子」です。1848年には、リヴィウの市庁舎に青と黄色の旗が掲げられた記録が残っており、これが近代における青黄旗の始まりのひとつとされています。
1918年、初めて国の旗になる
ロシア帝国が崩壊したあとの1918年、独立を宣言したウクライナ人民共和国は、青と黄色の旗を正式な国旗に定めました。
このとき、青と黄色のどちらを上にするかについては意見が分かれていましたが、最終的には青を上にする形が採用されています。
ソ連時代は、掲げるだけで罪に問われた
しかし独立は長く続かず、ウクライナはソビエト連邦の一部となります。ソ連の統治下では青と黄色の旗は禁止され、掲げた者は刑事責任を問われるおそれがありました。
この時代のウクライナの旗は、赤地の下の部分に青い帯を入れ、金色の鎌と槌を描いたものでした。
1990年、キーウに青と黄色が戻ってきた
流れが変わったのは、ソ連の体制が揺らぎはじめた1990年です。同年7月24日、キーウの市庁舎に青と黄色の旗が掲げられました。
1991年にウクライナが独立を果たすと、翌1992年1月28日、青と黄色の旗は正式に国旗として採用されます。2004年には8月23日が「国旗の日」に定められました。独立記念日の前日にあたる日です。
まとめ
ウクライナの国旗の青と黄色は、古くからこの土地で使われてきた色でした。1918年に一度は国旗となりながら、ソ連時代には掲げることさえ許されず、1990年代になってようやく戻ってきた旗です。
たった2色のシンプルなデザインですが、その裏には、掲げる自由を取り戻すまでの長い道のりがあります。
国旗の形や色をどれだけ覚えられたか、ぜひノーマルモードのクイズで力試ししてみてください。