黒・赤・金の3色で知られるドイツの国旗。実はこの配色、もともとはある義勇軍の軍服の色がもとになっているといいます。
さらに東西分裂の時代には、同じ黒赤金の旗でありながら、中央に紋章があるかないかで、どちらの国の旗かを見分けられたという時期もありました。今回はドイツ国旗の波乱の歴史を掘り下げていきます。
ドイツってどんな国?国旗の基本データ
| 正式名称 | ドイツ連邦共和国 |
| 人口 | 約8,400万人 |
| 首都 | ベルリン |
| 初めて国旗になった年 | 1919年 |
| 現行デザイン確定 | 1949年 |
| 縦横比 | 3:5 |
| 通称 | 「黒・赤・金(シュヴァルツ・ロート・ゴルト)」 |
きっかけは、1813年のある義勇軍の軍服だった
黒・赤・金という組み合わせの起源は、ナポレオン戦争期の1813年にさかのぼります。
当時結成された義勇軍「リュッツォウ義勇軍」の軍服が、黒い生地に赤い襟、金色のボタンという配色でした。この3色が、後にドイツを象徴する色として広まっていくことになります。
1815年、学生たちが「統一」の象徴として採用
1815年、イェーナ大学の学生たちが結成した団体「ブルシェンシャフト」が、この黒・赤・金を自分たちの象徴として採用しました。
当時のドイツはまだ多数の領邦国家に分かれており、この3色は「統一されたドイツ」への願いを込めた色として、学生や自由主義者たちの間に広まっていきました。
1848年革命 — 統一を求めた旗は、短命に終わる
1848年、自由と統一を求める三月革命が起こると、黒・赤・金の旗はその象徴としてフランクフルト国民議会に掲げられました。
しかしこの革命は最終的に失敗に終わり、統一の夢とともに、この旗もいったん表舞台から姿を消すことになります。
1919年、ワイマール共和国でついに国旗に
黒・赤・金が正式な国旗として採用されたのは、第一次世界大戦でドイツ帝国が敗北した後のことです。
1919年に成立したワイマール共和国は、帝政時代の黒・白・赤に代えて、自由主義の象徴である黒・赤・金を国旗に定めました。
ナチス政権下で禁止された時代
1933年にナチス政権が成立すると、黒・赤・金の旗は再び冷遇されることになります。
同年3月12日から1935年9月15日までは帝政時代の色が暫定的に使われ、その後はハーケンクロイツ旗のみが唯一の国旗とされました。黒・赤・金は、事実上使用を禁じられる時代が続きました。
東西分裂時代、「紋章の有無」で見分けられた2つの旗
第二次世界大戦後の1949年、東西に分裂したドイツは、どちらも黒・赤・金をそのまま自国の国旗として採用しました。しばらくの間、両国の国旗は全く同じデザインでした。
変化が生まれたのは1959年のことです。東ドイツが、ハンマーとコンパス、麦の輪を組み合わせた社会主義の国章を、旗の中央に追加しました。
以後、この紋章の有無が、東西どちらの国旗かを見分ける目印になりました。
1990年の東西ドイツ統一により、紋章のない西ドイツの黒・赤・金が、そのまま統一国家の国旗として受け継がれ、現在に至っています。
まとめ
一人の義勇軍の軍服の色から始まり、統一への願い、革命の挫折、独裁下での禁止、そして分断と再統一まで、ドイツの近現代史そのものを映してきた黒・赤・金の旗。
シンプルな横縞の裏に、これほど重い歴史が刻まれているとは、意外に感じる人も多いのではないでしょうか。
国旗の形や色をどれだけ覚えられたか、ぜひノーマルモードのクイズで力試ししてみてください。