オーストリアの国旗|血に染まった服から生まれた?赤・白・赤の伝説

Flag_of_Austria

赤・白・赤の横三色。オーストリアの国旗は、今も使われている国のシンボルの中で、世界でも特に古いもののひとつです。その由来として語り継がれてきたのは、戦場で血に染まった1枚の服の話でした。

とはいえ、これはあくまで伝説。記録をたどると、実際の始まりは別のところにありました。伝説と史実の両方を見ていきましょう。

オーストリアってどんな国?国旗の基本データ

正式名称オーストリア共和国
人口約910万人
首都ウィーン
最古の記録1230年
現在の国旗として採用1945年5月1日
縦横比2:3

血に染まった服の、ベルトの跡だけが白かった

伝説の主人公は、12世紀のオーストリア公レオポルト5世です。十字軍に加わった彼は、現在のイスラエルにあるアッコの町をめぐる戦い(1189〜1191年)で、激しい戦闘に身を投じました。

戦いが終わったとき、彼の白い服は敵の血で真っ赤に染まっていました。ところがベルトを外すと、その下の部分だけは血がつかず、白いまま残っていたといいます。赤・白・赤というこの色の並びを、彼は自らの旗印にした、というのが伝説のあらましです。

この話は、1260年ごろにはすでに語られていたことがわかっています。

実際の始まりは、1230年の印章

記録の上で赤・白・赤が確認できる最も古い例は、1230年11月30日の文書に押された印章です。これを使ったのは、オーストリア公フリードリヒ2世でした。バーベンベルク家最後の君主である彼は、即位のあとで赤・白・赤の新しい紋章を定めています。

この配色は、さらに古い時代の南部の貴族の紋章に由来する可能性も指摘されています。どうやら実際の由来は、血染めの服の伝説よりもう少し地味なものだったようです。

ハプスブルク家の時代は、黒と黄色の旗だった

オーストリアといえば、長くヨーロッパに君臨したハプスブルク家が有名です。しかしハプスブルク家の君主国の旗として使われていたのは、赤・白・赤ではなく、黒と黄色の二色旗でした。

1918年にハプスブルク家の支配が終わると、赤・白・赤が国の旗として使われるようになります。ナチス・ドイツに併合されていた時期には使用を禁じられましたが、戦後に復活します。現在の国旗として正式に採用されたのは、第二次世界大戦が終わる1945年5月1日のことです。

よく似た国旗との見分け方

赤・白・赤の旗は、ほかの国にもあります。ラトビアの国旗は同じ横縞ですが、赤が暗い色で、中央の白い帯がずっと細くなっています。ペルーの国旗は、同じ色でも縦縞です。

レバノンの国旗は、中央の白い帯に緑の杉の木が描かれています。この旗は、オーストリアの国旗から着想を得たともいわれています。

まとめ

オーストリアの国旗には、血に染まった服から生まれたという劇的な伝説があります。実際の起源は1230年の印章にさかのぼり、それだけでも800年近い歴史を持つ、とても古い配色です。

伝説が事実かどうかは別として、赤・白・赤という並びを一度で覚えられる物語として、今も語り継がれています。

国旗の形や色をどれだけ覚えられたか、ぜひノーマルモードのクイズで力試ししてみてください。

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