赤地に白い三日月と星。トルコの国旗は「新月旗」と呼ばれ、世界でも特に知られた旗のひとつです。ところが、この三日月と星がどこから来たのかについては、今もはっきりした答えがありません。
伝えられている由来は、ひとつではありません。戦場の血の海に映った月と星だという伝説から、古代都市のシンボルを受け継いだという説まで、少なくとも5つの話が語り継がれています。
トルコってどんな国?国旗の基本データ
| 正式名称 | トルコ共和国 |
| 人口 | 約8,500万人 |
| 首都 | アンカラ |
| オスマン帝国での採用 | 1844年 |
| 規格の法制化 | 1936年5月29日 |
| 縦横比 | 2:3 |
| 通称 | 「アイ・ユルドゥズ(月と星)」 |
「月と星」「赤い旗」と呼ばれる旗
トルコ語では、国旗は「アイ・ユルドゥズ(月と星)」と呼ばれます。「アル・バイラック(赤い旗)」という呼び名もあり、国歌の中でも「赤い旗」として歌われています。日本語では新月旗、または月星章旗と呼ばれることが多いです。
血の海に映った月と星 — 戦場にまつわる伝説
最もよく知られているのが、1389年のコソボの戦いにまつわる伝説です。激しい戦いのあと、戦場に流れた血の海に三日月と星が映り、それを見たオスマン帝国の君主ムラト1世が旗の図柄にしたといいます。
しかもこれとよく似た話が、時代を変えて何度も登場します。20世紀のトルコ革命でも、建国の父ケマル・アタテュルクが勝利の夜、戦場の血に映る三日月と星を見たという言い伝えがあります。
夢、夜空、そして古代都市 — 残る3つの説
3つ目は、オスマン帝国の始祖オスマン1世の夢にまつわる話です。彼の胸から三日月と星が現れて大きく広がっていく夢を見たとされ、のちにコンスタンティノープルを手に入れる前触れだったと語られます。
4つ目は、1453年にそのコンスタンティノープルを攻め落としたメフメト2世が、陥落の夜に夜空で三日月と星を目にしたというものです。
そして5つ目が、より古い時代に起源を求める説です。コンスタンティノープルの前身にあたる古代ギリシャの都市ビュザンティオンでは、三日月と星がすでに街のシンボルとして使われており、オスマン帝国がそれを受け継いだという見方です。伝説ではなく、歴史的な説明としてはこの説が挙げられることが多いです。
正式な国旗になったのは1844年
三日月と星の図柄は、18世紀末から19世紀初めごろにはオスマン帝国の旗に見られるようになりました。赤地に白い三日月と星の旗が帝国の旗として正式に定められたのは、1844年のことです。
1923年にオスマン帝国が終わり、トルコ共和国が生まれたあとも、この旗はそのまま引き継がれました。1936年5月29日には国旗法が制定され、寸法や図形の比率、赤の色合いまでが細かく定められています。
イスラム圏の国旗に広がった三日月と星
三日月と星は、現在では多くのイスラム教国の国旗に使われています。もともとイスラム教そのもののシンボルだったわけではなく、長く地域の大国だったオスマン帝国の旗を通じて、広く知られるようになった図柄です。
まとめ
トルコの国旗の三日月と星には、戦場の伝説、君主の夢、古代都市のシンボルと、いくつもの由来が語り継がれています。どれが本当なのか、実のところ決着はついていません。ただ、それだけ多くの物語を背負った旗だということは確かです。
1844年に定められたこの旗は、帝国から共和国へと国の形が変わっても、姿を変えずに受け継がれてきました。
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